九州産直クラブ 社長のblog

九州産直クラブ社長 吉田登志夫の公式ブログです。九州産直クラブの商品や生産者、九州の野菜、肉、魚などの内容や、イギリスのオーガニック市場、フェアトレードなど、様々な情報をお届けします。

パリからの客さん:イバ・アイジット

DGドリームグループ(natural/夢広場&九州産直クラブ)社長の吉田登志夫です。

サクラの花が満開の4月8日、パリからお客さんが来ました。夢広場(長丘店)の初代理事長:で1年前に亡くなった菊川憲司さんのモスクワ・ルムンバ大学時代の友人のインドネシア人イバさんです。僕と同じ65歳のイバさんは子どもの頃に、お父さん(当時のインドネシア共産党議長として有名なアイジット氏)が政治的事件で殺害され、モスクワに逃れて学生時代をおくり、さらにソ連と中国の政治路線論争の渦中に中国にわたり、その後フランス・パリで移民として暮らしています。菊川憲司さんとはモスクワ時代から今日まで友人としての交流が続いており、昨年亡くなった憲司さんのお見舞いで福岡に来られました。イバさんは何度か日本に来られたことがあり、水俣を訪問したり、インドネシアの海老の枯渇問題を探ったりされていました。

ちょうどその日は那珂川キッチンのインドネシア人研修生のビマとバガスが「社長、花見がしたいです」と言って来たので、油山での花見を予定していました。「では、一緒に花見をしよう」ということになりましたが生憎の雨でしたので、事務所で歓談をして、油山に車で登って、そのあとnatural/夢広場長丘本店傍の「もつ鍋ヒロ」で食事をしました。

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<油山展望台で:右からJフェアトレード塚本さん、ビマ、バガス、菊川千賀子さん、イバ、吉田>

イバはビマ・バガスとインドネシア語で心行くまで話をしていましたが、あとでビマから「日本から大きな船がインドネシ来て、海老をみんな取っていってしまったそうだ。社長はこのことをどう思うか?」と質問されました。

イバさんはインドネシア→ソ連・モスクワ→中国→フランス・パリと激しい政治状況の変化の中を生きてこられていますが、今はどこに住みたい?と聞くと「インドネシア」と答えられました。欧米は自らが引き起こした難民・移民問題で揺れていますが、私は「人は地球上のどこにでも住む権利がある」と思っています。国境などは人が線引きしたものにすぎません。政治家が一国の(利益の)ことだけを考えて発言するとどこかにしわ寄せが来、武力・金を持たない弱いものが苦しめられる結果を招きます。もはや世界の課題・問題は1国で解決できるようなものではありません。世界の人々が誰も飢えることなく、平和に共存していく道筋をたてることが政治(家)の第1の任務です。ポピュリズム(大衆操作)が日本・世界で広がるなかで、イバさんの生涯に思いを馳せました。

ディパ・ヌサンタラ・アイジット

ディパ・ヌサンタラ・アイディット
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生誕 Ahmad Aidit
(1923-07-30) 1923年7月30日
インドネシアの旗 インドネシアスマトラ島メダン
死没 (1965-11-22) 1965年11月22日(満42歳没)[1]
インドネシアの旗 インドネシアジャワ島
死因 暗殺
著名な実績 インドネシア共産党を議長として指揮
政党 インドネシア共産党
選挙中のアイディット(1955年

ディパ・ヌサンタラ・アイディットインドネシア語:Dipa Nusantara Aidit1923年7月30日 - 1965年11月22日[1])は、インドネシアメダン出身の政治家共産主義者日本語では「アイジット」とも表記する[2][3]

1953年インドネシア共産党書記長を務め、1959年にはインドネシア共産党議長を務めた。しかし1965年9月30日に起きた9月30日事件に関わって失脚。同年11月22日ジャワ島軍隊射殺された[4]