九州産直クラブ 社長のblog

九州産直クラブ社長 吉田登志夫の公式ブログです。九州産直クラブの商品や生産者、九州の野菜、肉、魚などの内容や、イギリスのオーガニック市場、フェアトレードなど、様々な情報をお届けします。

三浦和彦さん葬儀 日本キリスト教会富田林教会 有機農業技術会議 オルタ― 興農ファーム

三浦さんの葬儀が執り行われた日本キリスト教団富田林教会             f:id:sancyoku:20151012122434j:plain

ナチュラルナチュラル&オーガニック九州産直クラブ社長の吉田です。

10月12日、三浦和彦さんの葬儀に大阪・富田林教会に行きました。三浦さんとは興農ファームの応援で一緒になりましたが、なんと誠実な人だろうと心底敬愛していました。世の中には、ときどきいい人がいます。でも、どんないい人でもどこかに利己がみえるものですが、三浦さんはどこまでも無私透明で、相手のことや農業のことや原発被害のことなどその時々の課題解決を全ての最優先に据えて全力で向かい合っておられました。三浦さんは僕の60年の人生の中で出会った「本当にいい人」でした。この春先から体調がすぐれないとお聞きしていましたが、11日の朝に、同じように興農ファームで多くの時間をともに過ごした茨城大学前農学部長の中島紀一先生から訃報の電話が入りました。葬儀は三浦さんがキリスト者であったことから日本キリスト教団富田林教会で行われました。69歳と1ヶ月、葬儀で牧師さんが三浦さんの人を語っていただきましたが、三浦さんの誠実さの背景に宗教が大きく横たわっていたのだということを知りました。三浦さんは高校生時代に東京・多摩でキリスト者の洗礼を受けられ、北海道大学農学部で学ばれ、研究の道に進まれてフィリピンの大学で稲の研究で成果を挙げられ、帰国後は有機農業と消費者を結ぶ共同体運動「たまごの会」に参画されたそうです。「たまごの会」は1970年代に各地で生まれていく有機農業生産者と消費者の共同購入運動の魁となった運動体で、くまもと産直クラブ代表の伊東弘さんがバングラデシュから戻った後に「たまごの会」に学びに行きその素晴らしさを熱く語っていたことを覚えています。その後、三浦さんは一貫して有機農業の世界に身を置き、食べもの運動「オルター」の顧問や有機農業技術会議の副理事長などを務められていました。記憶にあるのは福島原発事故直後に東京で開催された「農産物の被ばく放射能検査と数値に対する考え方」の議論が為された有機農業関連の集会で「今日の僕はみんなに袋だたきになるつもりで発言します、議論のたたき台になれば」といって、その時に「オルター」がいち早く掲げた「食品取り扱い上限は1ベクレル」についての考え方と実践を報告されていました。当時はまだ、放射能検出数値についての考え方が右往左往しており、僕も「基準はもたない」などと言っていた時期であり、そのときの「1ベクレル宣言」は衝撃であり、とても勇気があることだったと思います。葬儀では牧師さんの「三浦さんは神に召されたのである。鳥、魚、獣、花、野菜など万物は神が『よし』として創られ、そして人間に『支配(統治)せよ』と命令された。しかし、支配を任された人間が『金の論理』でその自然を歪めてしまっている。三浦さんは神からの任務を受けて、人間が壊そうとしている生き物、自然、命の、「歪み」を修正するべく闘ってこられた」という説教を基調に讃美歌と祈りがささげられました。僕の大好きなアイルランド民謡「ロンドンデリー」が讃美歌として謳われたのに感激しました。親兄弟の葬儀でも涙がなかなか出ない僕ですが、三浦さんの葬儀中涙が止まらずに仕方なかった、最後の別れの献花でお顔を見たときは嗚咽をこらえきれなかった。短い時間の出会いだったけど僕は本当に三浦さんが好きだった、もう一度、三浦さんといろんな話がしたかった。いろんな事をしでかしてきた自分ですが、せめて、残された時間は三浦さんの誠実さに少しでも近づけるように生きてみたい――などと「いまさら」という話ですが、都合の良いことが心に浮かんだりもした。

<たまごの会資料 http://www.yutari.jp/people/p090817.htm