九州産直クラブ 社長のblog

九州産直クラブ社長 吉田登志夫の公式ブログです。九州産直クラブの商品や生産者、九州の野菜、肉、魚などの内容や、イギリスのオーガニック市場、フェアトレードなど、様々な情報をお届けします。

ドリームグループ新人研修会

ドリームグループ(産直クラブ&naturalnatural/夢広場)社長の吉田登志夫です。

4月終わりの週末はグループ自社菊池農場研修棟でグループ新人研修会を開催しました。名古屋・神戸・福岡の産直クラブ配送業務担当の1年未満の新入社員の研修です。今回は名古屋から2名、神戸から1名、福岡から3名とロンドン勤務予定の研修生1名が参加しました。研修は1泊2日で「走る豚」「健康あか牛」「吉井牧場とシリカファーム/牛乳」の畜産PBブランド見学と座学、会員拡大/個別訪問の学習と実践が新人研のカリキュラムです。産直クラブの社員はnatural&organic食材の大切さを会員さんに語っていく「伝道者」と育っていく必要があり、グループのPB農畜産品の生産拠点である菊池での産地研修はとても重要です。

<朝5時起床で吉井牧場の搾乳を見学しました。真ん中でデーンを構えておられるのが牧場主・吉井さん。この牧場で搾乳した原乳をすぐにタンク車で5分走ってシリカファームの牛乳工場に運び、低温殺菌処理してパックし、産直クラブプライベートブランド牛乳にします。>

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<菊池農場・泗水牛舎での健康あか牛の餌やり。昨年4月熊本地震で牛舎が2棟全壊したために泗水牛舎は現在満杯です。もうすぐ阿蘇山系への放牧が始まると楽になります。>

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<夜の肉の試食を兼ねた交流食事会、走る豚や菊池鶏、健康あか牛をたらふく食べました。左2人目:走る豚の武藤さん、奥右:健康あか牛の久川さん、右端:自立農畜産・野菜生産責任者の若杉さん、後から武藤さん長男の勝典さんも交流に参加しました。>

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骨まで全部おいしく食べれる「タイ」-播磨海洋牧場・向井代表

DGドリームグループ(natural/夢広場&九州産直クラブ)社長の吉田登志夫です。

4月の終わりに姫路→京都→金沢を訪問しました。オーガニック&ナチュラル宅配グループのカタログ統合による新しい生産者・メーカーさんを廻らせていただく出張です。姫路ではこうべ産直クラブのシフォンケーキ生産者の瀬田さんの案内で播磨海洋牧場さんを訪ねました。瀬田さんはこうべ産直クラブの生産者であり長くからの会員さんでもあり、姫路の地域生産物の活性化をはかる活動で向井さんと出会われて、向井さんが取り組む「魚の全姿を骨のままおいしくいただく」研究に共感され、今回の案内を引き受けてくださいました。水産業を営む播磨海洋牧場の向井代表は、魚の生態そのものを熟知されており、その知識を活かし細部まで丁寧に取り扱うことで魚の鮮度を保って、おいしい水産物加工品をつくられています。

<姫路城参道にあるアンテナショップで「骨までおいしく食べれるタイ」をいただきました。右から向井代表、瀬田さん、Jnet商品部塚本さん>

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<姫路沖は海流が早く、ぴちぴちしたタイが名産です。こんなタイの尾頭付きが・・>

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<簡単にバラバラになり・・・>

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<骨まで、びっくりするおいしい食感でいただき・・・、最後は目玉2つのみが残りました。>

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魚を食べ始めたばかりの小さなお子さんや硬いものがのどを通りづらくなったお年寄りにきっと喜ばれる魚加工品と思います。しかも、とってもおいしい。

<加工工場は播磨灘の海岸沿いにありました。>

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<アンテナショップは姫路城(白鷺城)の参道にあり、ちょっぴり観光気分でした。>

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菊池農場 田植えを前にしての草刈り

DGドリームグループ(natural/夢広場&九州産直クラブ)社長の吉田登志夫です。

5月連休は菊池で菊池農場の田んぼのあぜの草刈りをしました。ゴールデンウイーク中は産直クラブ配送もnatural/夢広場店舗も通常営業ですが、お取引先などは休みが多いために出張商談やお客様来訪がなくて社長業は休業状態で、人手が不足している農場の雑草刈りに行きました。ちょうどLondonから戻っているスタッフと北九州の友人も誘って3人で2日がかりで3枚の田んぼの畦の草を刈りました。僕はバテバテでしたが、草刈り後の温泉とビールが最高でした。

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ロンドンのスタッフははじめて刈り払い機を扱いました。

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今は田んぼにはあか牛の餌の草(イタリアン)が生えています。イタリアンは米を作る以外の期間につくっています。手前のような平らな畦は刈りやすいのですが、奥の土手を刈るにはひと苦労します。

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朝6時でしたがバルーンが浮遊散策していました。オックスフォードを思い出します。

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土手で大きな蛇(青大将かな?)の抜け殻を発見しました。

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菊池の「生活用品スーパー・ナフコ」の正面入口にはデーンと除草剤&農薬が大きな面売場面積を取って販売されていました。中には「非耕作地用除草剤」という商品もあり、どんなに強い毒性なんだろうと考えてしまいました。「農薬の危険性」が指摘されて50年近くもなるのに一般スーパーにこんなに大胆に農薬が売られていることに驚きました。natural/夢広場&九州産直クラブはもっと、もっと頑張らねば。日本における無・減農薬栽培&有機農業の生産者は「雑草」との闘いの毎日です。安全・安心の食べ物生産の為にかかる「高いコスト」を支える「産直流通の仕組みと消費(者)」を確実につくっていきたいです。

 

福岡市の若手農業生産者:鶴田祐一郎さん

DGドリームグループ(natural/夢広場&九州産直クラブ)社長の吉田登志夫です。

4月初め、地元の若手農業生産者の鶴田祐一郎さんが桧原センターを訪ねてくれました。鶴田さんは桧原センターがある地域のJA福岡花畑支部に所属する生産者で青年部やナス部会で活躍する傍ら、桧原センターすぐ側の花畑園芸公園で果樹栽培の指導員をされています。現在はナスを中心に生産されていますが、将来は果樹を手掛けたいとの計画をもたれています。以前はnatural/夢広場:長丘本店に野菜を入れてもらっており、産直クラブ農産企画担当:藤井さんと店舗農産企画担当:友池さんと4人で「果樹をやるならこんなのをつくったら」とあれこれ話をしました。

現在の鶴田さんの果樹栽培アイテムは梅・杏・桜桃・桃・🥝・林檎・葡萄・李・無花果・柿ということです。鶴田さんはもぎたての李が大好きということですが、僕は🥑をつくって欲しいと希望を言いました。期待はあれこれと広がります。

鶴田さんは30歳、実はうちの末娘の比奈子と柏原中学校の同級生で「農業をやっている優秀な友達がいるよ」と紹介してもらったのが出会いのきっかけです。今後、福岡の若手農業者が集まっている「西洋野菜研究会」に顔を出させていただけるようにお願いをしました。これからの産直おつきあいが楽しみです。

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パリからの客さん:イバ・アイジット

DGドリームグループ(natural/夢広場&九州産直クラブ)社長の吉田登志夫です。

サクラの花が満開の4月8日、パリからお客さんが来ました。夢広場(長丘店)の初代理事長:で1年前に亡くなった菊川憲司さんのモスクワ・ルムンバ大学時代の友人のインドネシア人イバさんです。僕と同じ65歳のイバさんは子どもの頃に、お父さん(当時のインドネシア共産党議長として有名なアイジット氏)が政治的事件で殺害され、モスクワに逃れて学生時代をおくり、さらにソ連と中国の政治路線論争の渦中に中国にわたり、その後フランス・パリで移民として暮らしています。菊川憲司さんとはモスクワ時代から今日まで友人としての交流が続いており、昨年亡くなった憲司さんのお見舞いで福岡に来られました。イバさんは何度か日本に来られたことがあり、水俣を訪問したり、インドネシアの海老の枯渇問題を探ったりされていました。

ちょうどその日は那珂川キッチンのインドネシア人研修生のビマとバガスが「社長、花見がしたいです」と言って来たので、油山での花見を予定していました。「では、一緒に花見をしよう」ということになりましたが生憎の雨でしたので、事務所で歓談をして、油山に車で登って、そのあとnatural/夢広場長丘本店傍の「もつ鍋ヒロ」で食事をしました。

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<油山展望台で:右からJフェアトレード塚本さん、ビマ、バガス、菊川千賀子さん、イバ、吉田>

イバはビマ・バガスとインドネシア語で心行くまで話をしていましたが、あとでビマから「日本から大きな船がインドネシ来て、海老をみんな取っていってしまったそうだ。社長はこのことをどう思うか?」と質問されました。

イバさんはインドネシア→ソ連・モスクワ→中国→フランス・パリと激しい政治状況の変化の中を生きてこられていますが、今はどこに住みたい?と聞くと「インドネシア」と答えられました。欧米は自らが引き起こした難民・移民問題で揺れていますが、私は「人は地球上のどこにでも住む権利がある」と思っています。国境などは人が線引きしたものにすぎません。政治家が一国の(利益の)ことだけを考えて発言するとどこかにしわ寄せが来、武力・金を持たない弱いものが苦しめられる結果を招きます。もはや世界の課題・問題は1国で解決できるようなものではありません。世界の人々が誰も飢えることなく、平和に共存していく道筋をたてることが政治(家)の第1の任務です。ポピュリズム(大衆操作)が日本・世界で広がるなかで、イバさんの生涯に思いを馳せました。

ディパ・ヌサンタラ・アイジット

ディパ・ヌサンタラ・アイディット
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生誕 Ahmad Aidit
(1923-07-30) 1923年7月30日
インドネシアの旗 インドネシアスマトラ島メダン
死没 (1965-11-22) 1965年11月22日(満42歳没)[1]
インドネシアの旗 インドネシアジャワ島
死因 暗殺
著名な実績 インドネシア共産党を議長として指揮
政党 インドネシア共産党
選挙中のアイディット(1955年

ディパ・ヌサンタラ・アイディットインドネシア語:Dipa Nusantara Aidit1923年7月30日 - 1965年11月22日[1])は、インドネシアメダン出身の政治家共産主義者日本語では「アイジット」とも表記する[2][3]

1953年インドネシア共産党書記長を務め、1959年にはインドネシア共産党議長を務めた。しかし1965年9月30日に起きた9月30日事件に関わって失脚。同年11月22日ジャワ島軍隊射殺された[4]