九州産直クラブ 社長のblog

九州産直クラブ社長 吉田登志夫の公式ブログです。九州産直クラブの商品や生産者、九州の野菜、肉、魚などの内容や、イギリスのオーガニック市場、フェアトレードなど、様々な情報をお届けします。

インドネシア研修生:ビマとバガスの旅立ち

 (株)ドリームグループ(産直クラブ&ナチュラル/夢広場)社長の吉田登志夫です。

2018年1月インドネシア研修生:ビマとバガスが就業ビザ期限の満期をむかえ、厳寒の福岡空港から常夏の故郷インドネシアに帰国ていきしました。

福岡空港から旅立ち:左がバガス、右がビマ>

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3年間、とても良く働いてくれました。朝9時から夕6時まで月→金曜の週5日、グループの有機認証惣菜工場「那珂川キッチン」で惜しむことなく体と頭を駆使して、スタッフ先頭で業務をひっぱってくれました。年末やスタッフ不足のときは率先して残業を引き受けてくれ、パートさん達からの絶大な信頼をもらっていました。仕事最後の日、「僕たちの後の研修生は来るのですか?」と2人から聞かれ、「いや、いまのところは考えていない」と答えました。なぜ?という顔をしていましたが、詳しくは話しませんでした。とてもいいスタッフで、給与も日本人スタッフと同じ基準で支払ってきましたが、やはり「3年間期限」というのは、いいスタッフだからこそむつかしい。キッチンの調理の仕事は高い専門性を身につける技術&管理の仕事であり、2人が抜けた穴は大きく、3年ごとにまた最初から研修生を育てていくには現場の負担が大きいのです。本人たちは、もっとキッチンで働きたいと思っていますが、そこには国家=就労ビザの壁があります。実態は彼らはもはや「研修生」ではなく、立派は専門性をもった労働者=社員ですが、日本政府は3年以上の就労ビザを出しません。本当は、政府も彼らを実態は「労働者」として日本国社会が必要としている存在であるのが解っているのに、鎖国時代からの偏狭な「日本単一民族国家思想」を歴代政権は引きづっており、彼らを「研修生」の地位におしどどめています。時代は一挙には進みませんが、次の時代は、国境が低くなり、人が自由に自分の働くところ、住むところをその意思にそって選択できるようになるといいなぁとつくづく思います。もちろん、故郷は一番いいところではありつづけますが、世界のどこででも生きていけるような社会は希望につながります。

「ビマ、バガス、3年間、ありがとう。また、会える機会があるといいなぁ。また、一緒に仕事ができたらいいなぁ。」

 

 

<以下は、3年前最初に那珂川キッチンにビマとバガスが来た時の写真と記事です。>

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2月17日、インドネシアからの研修生2人が福岡に到着しました。グループの惣菜製造工場の「那珂川キッチン」で3年間、研修生として仕事をしてもらいます。きっかけは昨年春に日本インドネシア経済協力会の招きで「ジャワうなぎ」の視察に行った際に、研修生学校を訪問したことからです。協力会が運営する学校では常時400人の研修生が日本で仕事をすることを目的に日本語と日本の習慣を勉強しています。その真剣な姿に感銘し、ぜひ、ここの青年にきていただきたいと思いました。インドネシア人口は世界第4位の2億3千万人、最大のイスラム人口を抱える国で平均年齢は27歳です。日本は人口1億3千万人、平均年齢が46歳で人口ピラミッドは逆三角形、インドネシアは普通の三角形と真逆の人口構造です。ジャワうなぎ生産地の田舎に入って行くと若い青年たちが街に溢れています。日本では若い労働力がどんどん減ってきており、農業や建設業は労働力不足にあえいでおり、運送や製造、サービス業の労働者確保も深刻になってきています。少子高齢化社会に入った日本の産業&社会が、アジアの若い人たちに助けてもらわなければやっていけない時代がすぐそこまできています。仕事を求めるインドネシアの若者に、若い労働者が減少していく日本に来ていただいて仕事をしてもらうことは、今後の日本とアジアを見ていくうえで大切なことであると考え、仕事が覚えやすい惣菜製造の「那珂川キッチン」に来ていただくこととしました。ビマさんは21歳、バガスさんは18歳でともにカソリッククリスチャンで、日本語は生活が出来る程度。インドネシアでは宗教はとても大切に考えられており、節目にはキリスト教会に行きたいようです。彼らは産直クラブ敷地内の寮に住んで自炊し、約4キロ離れたキッチンに月-金で通います。協会への指導料など込みでの2人の人件費コストは通常の社員を雇用するのと同じくらいになります。初日昼食は本部事務所でキッチンの佐藤さん新開発の野菜カレーを食べました。キッチン現場は女性パートさんが多く、お互い少しずつ距離を測りながら仕事を開始しました。これからいろんなことを学び合っていきたいと思います。(2015年2月のブログ)